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「――よし、完璧だ」
声に出した瞬間、自分のものとは思えない高い声に、脳が少しだけバグを起こす。
目の前の全身鏡に映っているのは、俺が密かに恋い焦がれていた会社の同僚・綾乃その人の姿だった。
黒髪のボブヘア、整った顔立ち、そして男なら誰もが目を奪われる豊満なスタイル。
怪しいネット通販で手に入れた「意識同調薬」の効果は本物だった。俺の意識は今、確実に綾乃の肉体に収まっている。
「ふふ、我ながらいい体してるじゃん……って、中身は俺なんだけどさ」
鏡の前の綾乃――中身・俺は、ピンクのバラがあしらわれた真新しい下着姿でポーズをとっていた。
元々すらりとした体型でありながら、どこもかしこも柔らかそうで、自分の指で触れるだけでぞくりと奇妙な快感が走る。女の体って、こんなにも敏感で、熱を帯びているものなのか。
今日の計画はこうだ。
この後、綾乃の彼氏である高橋(たかはし)とのデートが控えている。
そこで俺は綾乃の体を借りて、一方的に別れを告げてやるつもりだった。
「もう君とは付き合えない、別れて」と冷たく言い放ち、あいつの絶望する顔を眺めてスカッとしてやる――それが、長年高橋にこき使われてきた冴えない男・俺の復讐計画だったはずなのだが。
待ち合わせ場所のカフェに現れた高橋は、相変わらず軽薄そうな笑顔を浮かべていた。
「おっ、綾乃。今日も可愛いね」
自然に俺(綾乃)の腰を引き寄せ、エスコートする手つきは慣れたものだ。
イラッとしたが、ここからが俺のターンだ。
適当な理由をつけて、人目のないところで盛大に振ってやろうと息気巻いていた。
しかし、デートが進むにつれて、状況はおかしな方向に転がり始めた。
高級レストランでのディナー、夜景の見えるテラス席。
高橋はいつになく真剣な眼差しで、俺の手を取った。
「綾乃、最近ちょっと冷たかっただろ? 不安だったんだ。……これ、ずっと渡したかったんだ」
差し出された小さな小箱。中には、きらびやかに光るダイヤの指輪が収まっていた。
予想外の展開に、中身の俺は「は?」とフリーズする。聞いてないぞ、こんなイベントは。
「俺、お前と本気で将来考えてるんだ。結婚しよう、綾乃」
その瞬間、胸の奥底で、ぐにゃりと奇妙な感覚が広がった。
それは俺自身の感情ではない。この肉体に宿る「綾乃の意識」が、高橋の言葉に感動し、嬉し涙を浮かべ始めているのだ。
薬の副作用か、あるいは肉体に刻まれた記憶の残響か。
綾乃の心臓が、ドクンドクンと激しく、甘い音を立てて高橋への愛おしさを訴えかける。
「たかはし……さん……」
俺の意思に反して、口から零れ落ちたのは甘ったるい声だった。違う、俺はこいつを振るためにここに――!
「ほら、返事は?」
「……っ、はい……嬉しい、です……」
頬を赤らめ、うっとりと微笑む綾乃の顔を、鏡越し(ではなく目の前)に見ながら、俺の意識は完全に気圧されていた。
肉体の持つ快感と、彼氏への好意という記憶の洪水に、俺の自我が溶かされていく。
「じゃあさ、このままお祝いしよっか」
すっかりとろけた表情になった綾乃の肩を抱き、高橋が耳元でささやく。その視線の先にあるのは、ネオンが輝くラグジュアリーなホテルのエントランスだった。
「えっ、ホテル……?」
「当たり前だろ。今日という記念日なんだからさ」
ふわりと香る高橋のコロンの匂いに、綾乃の体温がぐっと跳ね上がる。
「やだ、高橋さん……エッチ……」
トロリと潤んだ瞳で見上げられた高橋が、我慢できないとばかりに綾乃を抱き寄せた。
(待て待て待て! 計画はどうなった!? 俺はただ彼氏を振るだけで、こんな展開になる予定じゃなかったぞ!)
頭の中の俺が必死に叫ぶが、声を漏らすたびに、女の体は快感に震え、彼氏を求めるように密着していく。
もはや主導権は、すっかり「綾乃の肉体と恋心」に乗っ取られていた。
「行こっか、綾乃」
「……うん……優しくしてね、高橋さん……」
こうして、憧れの女性に憑依した冴えない男の復讐劇は、まんまと彼氏の甘い誘惑に屈し、濃厚な夜の帳へと飲み込まれていくのだった――。
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ところが、何の因果がはたらいたのかどうかは不明だが、空間に歪みができて、綾乃 (男性) は裂け目に引き寄せられるようにして収まったのだった。気付くと、元の場所に引き戻されていた。ただし、前回の失敗を新たに記憶として引き継ぐ形で。その何のへんてつもない場所で、無数の扉が突如出現し、最初の扉には大きく バツを指し示す扉が残されていたのだった。