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/tachiha/ - たちは板κ

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9788f8cd No.3774

画面の向こうで、かつて俺が泥にまみれて白球を追ったグラウンドが揺れていた。
「――悲願の甲子園初出場! 掴み取った夢の舞台です!」
アナウンサーの弾んだ声が、リビングに響く。
テレビに映し出されているのは、我が母校の野球部。
つい3ヶ月前まで、俺が「背番号5」を背負ってサードのポジションを争っていた、あのチームだ。
画面が切り替わり、主将の蓮のドアップになる。
汗と涙でぐしゃぐしゃの顔。
だけど、その目は信じられないくらい真っ直ぐで、輝いていた。リポーターがマイクを向ける。
『キャプテン! 激戦を制しての甲子園、今、誰にこの喜びを伝えたいですか?』
蓮は一瞬、天を仰ぐようにして鼻をすすり、それからカメラを真っ直ぐに見据えて言った。
「……あいつ、にです」
『あいつ、と言いますと?』
「大会直前、不治の、その……『女体化ウイルス』に感染して、チームを去らなきゃいけなくなった、俺たちのサードです。あいつは悔しかったはずです。誰よりも練習して、誰よりも甲子園に行きたがってた。だから俺たち、あいつの背番号を、あいつの魂を一緒に甲子園に連れて行くって約束したんです。……おい、見てるか! 俺たちやったぞ!!」
蓮が叫ぶと、後ろにいた部員たちも「うおおお!」と拳を突き上げた。
「……バカ」
思わず口から漏れた声は、自分でもまだ聞き慣れない、かわいらしい女の子の声だった。
膝を抱えていた手を伸ばし、自分の胸元に触れる。
薄手の上着越しに触れる膨らみは、紛れもなく本物だ。
短かったはずの髪は肩まで伸びてサラサラになり、いくら日焼け止めを塗っても焼けなかった肌は、今や抜けるように白い。
世界を震撼させた『女体化ウイルス』。致死性はない。
ただ、染色体を書き換え、肉体を完全に「女性」へと変貌させる。確率にして数万分の一の奇跡というか、大不運。
よりによって、最後の夏を控えた俺に、それが当たった。
高野連の規定により、女子は公式戦に出場できない。
あの日、泣きながら退部届を出した俺に、蓮は「俺たちが絶対にお前を甲子園に連れて行く」と言ってくれた。慰めの言葉だと思っていた。だけど、あいつらは本当にやり遂げたんだ。
画面の向こうで、蓮がユニフォームのポケットから何かを取り出した。
それは、俺が置いていった、泥の染みついた「背番号5」の布だった。
蓮はそれを大きく掲げている。
「っ……、う、あ……」
視界が急激ににじむ。
ポロポロと、大粒の涙が太ももの上に落ちていった。
男のときは、悔しくてもこんなに簡単に涙なんて出なかったのに。
身体が女になってから、涙腺まで緩くなってしまったらしい。
悔しい。
悔しくて、羨ましくて、たまらない。
できることなら、あの輪の中心で、汗臭い男連中に揉みくちゃにされながら泣きたかった。
だけど。
「ありがとう」
テレビの画面に向かって、私は小さく呟いた。
スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
もうあのダイヤモンドには立てないけれど、私の心は、今も間違いなくあの泥だらけのユニフォームと一緒にあった。

6d0a4b22 No.4146

甲子園のグラウンドから吹き抜ける風が、紺色のスカートの裾をふわりと揺らした。
「……やっぱり、裾がスカスカして落ち着かねえな」
ぽつりと漏らした独り言は、アルプススタンドからの怒涛の歓声にかき消された。
俺はいま、夢にまで見た甲子園のベンチにいる。
着ているのは、つい最近届いたばかりの我が校の女子用制服だ。
薄手の白ブラウスに、膝丈のスカート。首元には結び慣れないリボン。
本来なら、この場所には入れないはずだった。
だが、学校と高野連が特例として協議を重ねた結果、「登録記録員(マネージャー)」としてのベンチ入りが認められたのだ。
本来、そのシートに座るはずだったのは2年生の女子マネージャー、アオイだった。
彼女は俺の女体化を知ったとき、誰よりも泣いてくれた。
そして甲子園出場が決まった日、自ら笑顔で俺にその席を譲ってくれたのだ。
『私は来年もありますから。……先輩の最後の夏、一番近い場所で見届けてください』
その優しさが痛いほど嬉しくて、断ることはできなかった。
「おい、変に緊張してんじゃねえぞ」
隣から声が聞こえ、振り返る。
サードの守備位置につく直前の蓮が、グラブをポンポンと叩きながら俺を見下ろしていた。
「ユニフォーム、着てくればよかったのに。マネージャーだって、ジャージやユニフォーム着てる学校はあるだろ」
蓮の問いに、俺は自分の膝に置いたスコアブックをぎゅっと握りしめた。
実を言えば、退部するときに持ち帰った「5番」のユニフォームを着てくる案もあったのだ。
チームメイトも「お前も選手としてここにいるんだから」と背中を押してくれた。
だけど、俺は断った。
未練を断ち切るためだ。
もう俺は、あのダイヤモンドで白球を追う「選手」には戻れない。
未練を残したまま中途半端にユニフォームを着たら、グラウンドで戦うあいつらに失礼だ。俺は今日、選手としての自分に別れを告げ、仲間を支える一員としてここに立つと決めたんだ。
「いいんだよ。俺はもう選手じゃない。……今日の俺は、お前らの最高のマネージャーだ」
強がって笑ってみせると、蓮は一瞬目を見開き、それからニッと笑った。
「バカ言え。お前はどこまでいっても、俺たちのサードだろ」
そう言って、蓮は俺の頭をガシガシと雑に撫でた。
男のときと同じ、乱暴で温かい手つき。
伸びた髪がくしゃくしゃになったけれど、不思議と嫌じゃなかった。
サイレンの音が、甲子園の空高く響き渡る。
初戦のプレイボールだ。
「よし、みんな! しっかり声出していこう!」
俺は胸を張り、自分でも驚くほど通る高い声で、ベンチからグラウンドへと叫んだ。
スカートの揺れるベンチで、俺の新しい夏が始まった。



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