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怪しいバイト始めました。
『眠ってるだけで高収入』なんて、胡散臭さしかない募集文句だったけど、案外ウソじゃなかった。
雇用主は、まさかの本物の“闇”の眷属、サキュバスを名乗る存在だった。
ある意味、本物の闇バイトだ。
エントリー後から、眠るたびに美人のお姉さんが夢に出てきて、僕に言う。「さあ、仕事よ」って。
支給された制服、サキュバスのドレスを身に着けると、僕は女の体に変わっていて、違和感は多少あるけれど、不思議と自分の立ち位置に納得していたりする。
サキュバスの恰好をしてるのだから僕はサキュバスなんだって、夢特有のふわっとした思い込みで、うふふ❤なんてなりきってる自分がいたりする。
最初は研修から。
先輩サキュバスから仕事の説明を受ける。
「他人の夢にダイブして搾精するだけのとても簡単なお仕事よ」
他人の夢にダイブするには、イメージする事が重要である程度その人物との親交が必要らしい。
搾精した“精”は雇用主の元へ集められて、僕には対価として報酬が支払われるという仕組みだ。
最近は夢魔界隈も人手が足りないらしく、こういうパートタイム雇用が増えているらしい。
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「さあ、今日は実践。他人の夢にダイブする練習をしましょう」
先輩サキュバスが腰に手を当てて言う。
「知ってる人を思い浮かべてぇ。あ、女の子はダメ。あっちはインキュバスの管轄だから。男限定ね。いるでしょ? お友達のひとりやふたり」
あいにく、僕にはあまり友達がいない。
強いて挙げるなら、同級生に一人、仲のいいやつがいる。
「じゃあそのお友達のことを強く思い浮かべて。その胸に身体を預けるイメージね。感じて、甘えて、飛び込むつもりで思いきり委ねるの」
言われた通りイメージしてみる……けど、何も起きない。
「ダメね。想いが足りない。本当にお友達なの?」
サキュバスの嘲笑に、むっとする。
でも、もしかして、と思い直す。
ドレスに包まれた胸元を指先でなぞりながら、女の子としての自分を強く意識する。
「僕は女の子。僕は女の子……彼、こんな僕のこと、どう思うかな」
甘えるような気持ちで、かわいらしく友人を思い描く。
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その瞬間、空間が揺れ、闇がほどけていく。
気がつくと、僕は知らない部屋にいた。
眼下には、ベッドですやすや眠る友人。
僕は彼の上に、ふわふわと浮かんでいる。
彼の顔を見つめた瞬間、不思議と胸の奥がじんわりと熱を帯びた。
「さあ、体を重ねて。触れるだけで彼の精が、あなたに流れ込むはず」
先輩サキュバスの声が、どこからともなく響く。
「感じて。彼の体温を、呼吸を、肉体を……それを全部、あなたの中に受け止めて」
おそるおそる、彼の寝顔に手を伸ばした。
指先が頬に触れた瞬間、あたたかい波が胸元に流れ込んでくる。
心臓が大きく跳ねた。
まるで恋をしているような、甘くて切ない感覚。
あぁ……
そっと身体を重ねる。ドレス越しに伝わる彼の体温には、夢とは思えないほどの現実感があった。
次の瞬間、胸の奥に何かがゆっくりと満ちていく。
これが……精?
僕の中に流れ込む濃厚な熱量に、体が小さく震えた。
まるで女の子のように、僕はそれを静かに受け入れていた。
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自分の夢に戻ってきても、まだぼうっとしていた。
胸の奥に残る甘い感触が、しつこく身体の芯をくすぐっている。
「初めてのお仕事、どうだったかしら。続けられそう?」
声の主は先輩サキュバス。
相変わらず、妖しい笑みを浮かべていた。
うまく言葉が出なくて、小さく頷くのが精一杯だった。
「初めてにしては上出来。効率とかはそのうち覚えればいいわ。さて……じゃあ、あなたが集めた精を回収するわね」
「え……?」
「じっとして……」
不意に背中へ腕が回り、豊満な胸が押し当てられる。
その柔らかさがドレス越しに伝わってきて、思わず身体が強ばる。
それだけじゃない。
なにかがすうっと引き抜かれていくような感覚がある。
先輩のピンク色の厚い唇が、ゆっくりと近づいてきた。
ただ魅入られたみたいに、見つめてしまう。
あ……
重ねられた唇は甘くて、罪の匂いがした。
先輩の舌がわずかに動き、僕の内側をなぞった瞬間、胸の奥に溜まっていた“なにか”が、一気に抜けていくのがわかった。
膝ががくりと崩れ、へなへなと床に座り込む。
さっきまで満ちていた感情が、まるごと奪われたような感覚。
代わりに残ったのは、焦がれるような渇きだった。
「はい、おしま~い。今晩のお仕事はここまで。お給料の振り込みは3日後になりま~す。おつかれさま」
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夢の出来事なんて、大抵は目が覚めれば忘れてしまうものだけど、サキュバスとしての仕事の記憶だけは、やけに鮮明だった。
そのせいで、学校で友人の顔を見るたびに妙な意識をしてしまう。
夢の中では、僕はサキュバスになりきっていて、倫理観も羞恥もぜんぶ置き去りにしていたのに、現実ではそうもいかない。
夜に彼にしたあれやこれやを思い出すたび、顔が熱くなって、一人で勝手に赤面して、自己嫌悪に沈む。
なのに、当の友人は夢の記憶なんてまったくないらしく、それどころか、最近はやたら僕に好意的だ。
その感情がどこから来ているのかはわからないけれど、向けられる視線の温度に妙な熱が混じっていて、少し怖い。
しかも最近やけにやつれてて、学校も休みがちなのが気になっている。
たぶん、僕との毎晩のあれが原因だろう。
……そんなわけで、僕は彼以外の対象を新しく探す必要に迫られていた。
新しく友達を作るなんて無理だと思ってた。
ずっと、そういうことに向いてない人間だと思っていた。
でも、最近はなにかが違う。
クラスの中でもヒエラルキー上位にいるような、あの手のイケメン陽キャくんが、なぜか僕に話しかけてくる。
そういう人間と親しくしていると、不思議と周りにも人が集まってくるものなんだと、初めて知った。
僕の周囲は少しずつ賑やかになり、夜の仕事場も、じわじわと広がっていった。
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「あの……言いにくいんですけど……」
サキュバスの仕事を始めて数日が経った頃、僕は思い切って先輩サキュバス、もといお姉様に話を切り出した。
「ちょっと給料、少なくないですか? 一晩やって千円にもならないなんて、最低時給どころの話じゃないし……正直、わりに合わないなって」
お姉様はくすくすと笑って、いつもの艶っぽい目でこちらを見つめてきた。指先が僕の顎をなぞる。
「あら、いっぱしのサキュバスみたいな口を利くようになったじゃない。お金が欲しいなら、もっと搾精量を増やせばいいのよ。効率的なやり方、もう……知ってるわよね?」
彼女が僕から精を回収したときのやり方を思い出して、思わず顔をしかめた。
確かに、あれなら短時間で何人もの男から搾れる。効率は抜群だ。
……でも、口からの摂取はまだちょっと抵抗がある。
「狩場も広がってきたみたいだし、そろそろおままごとみたいなやり方は卒業しなさい」
そう言って、先輩はからかうような目で僕を見つめてきた。
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僕は慌てて話をそらした。
「そうそう、狩場の話で思い出したんですけど、最近なんか妙に付き合いが増えてて。現実が充実してくると、やっぱり楽しいですね。毎日、友達とわいわいやってるんですけど……でもそうなると、やっぱお金が必要になるんですよ」
「……そう」
お姉様は唇に指をあてて黙り込んだ。
考えごとをするとき、いつもこの仕草をする。
「あなた……もしかしたら現実でも、無意識にサキュバスの力を使い始めてるのかもしれないわね」
「え? 現実で? サキュバスの力って、勤務時間外でも使えるんですか?」
思わず聞き返すと、先輩サキュバスは小さく頷いて肩をすくめた。
「錬度にもよるけど……魅了の力は、わりと発現しやすいの。たぶん、あなたの方から誘ったのよ、無意識のうちに」
僕はショックを受けて、言葉を失った。
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「誘うだなんて……僕、そんなつもり……ありませんでした」
お姉様は長い髪を片手でかき上げながら、少し呆れたように笑った。
「でも現に、狩場は増えたじゃない。あなたがそうなるよう望んだからよ。違う?」
その言葉に、思わず唇を噛んだ。
「僕は普通の人間です。そんなことができるなんて……まるで、本物のサキュバスみたいじゃないですか」
震える声でそう返すと、彼女はふっと目を細め、鼻で笑った。
「本物のサキュバス?……ふふ、あなたなんてまだ研修中のペーペーじゃない。そんな深刻に考えなくていいのよ。魅了なんて、人間だって使える力よ。じっと見つめる、軽く触れる、化粧をする、香りをまとわせる、好意を示す。どれも魅了の一種。でも私たちは、それを意図的に、体系的に、増幅して使えるだけ」
そう言って身を乗り出し、僕の顎を指先ですくい上げた。
蠱惑的な光を宿した瞳で見つめながら、囁くように続ける。
「ふふ、現実が充実してるってあなた言ったわよね。だったら、なにが問題なの? 楽しみなさいな、夢の世界も現実も、あなたの望むままに」
お姉様の瞳が赤く輝く。
見つめているうちに、彼女の言うことが正しいような気がして……僕は、ゆっくりと頷いていた。